えせフェミ、実は「ほぼ」そのままでいい説

己の社会運動のために女性の心を悪用している悪魔が居る。

えせフェミが自然体のまま社会に存在するために必要なのはフィクションだ。

想像を楽しめ。その檻から出てくるな。
オタクはそれで結構幸せにやってるからな。

オタクとフェミニストは理屈の上で、
オタクとえせフェミっは共感の上で、

かなり近しい存在である予感がある。

以下Twitterの転記と書き足し。

 

実のところ、えせフェミが幸せになる方法はだいたい分かっていて、それはお気持ちヤクザに徹して正しさと無縁でいる事だったりする。

そもそもの話、共感さえ出来れば正しくなくて良いんだよ。ですが、それを社会に認めさせようと吹き込む悪魔がおる。

そこが不幸の出発点。

えせフェミをゾーニングしようという話は互いにとっての巧妙な光明だったりする。
騙してやろうという気は全く無いし、割と本気でえせフェミはゾーニングされた方が幸せだと確信している。

えせフェミは
  ・共感を得たい
  ・結果はどうでもいい
  ・責任は取りたくない
という特性を持つので、

「そもそも正しくある必要が無い」

そして、人間だれしも悪い特徴を持つものであり、悪くあろうが共感は得られる。むしろ正しくない事の方が共感を得られる。

よく考えてもみれば、
「ダイエット中なのにポテチ開けてしまった」
だの、
「自宅で釣り銭多く受け取った事に気付いたけど放っといた」
とか、悪事であれ共感するでしょうが。

本来正しさなど求めていない、毒にも薬にもならない小悪党を生け贄にしている男こそ
「えせフェミ男」
なんである。

えせフェミ女の皆さんはえせフェミ男に騙されて、本来不必要な
「結果にコミットする責任」
を負わされてんですよ。
捨てちまえそんなもん。元より大事でもなんでも無かろうが。いっそ邪魔でしょうが。

綺麗なラッピングを剥いで出てきたブツは月に艱難辛苦を求める宣誓書だぞ。

男を差別して憂さ晴らししてもええんですよ。
今のところは野郎共だってそういうアクションに寛容なんだし。
だから反差別なんて看板は尻にでも敷いておけ。
飾っておいてもスペースの無駄だ。あんた、ときおりその「反差別」に足の小指をぶつけて泣いてるじゃないか。事故原因は減らすに限る。
男女平等なんて看板は窓から投げ捨てろ。
あんたらには不要だ。求めるものは女性優遇でいい。理想は「みんなお姫様」だ。

 

つまりフェミニストを止めろ。

 

不平を吐き捨てて楽しむ平民に戻れ。
えせフェミ女がありのままの自分を周囲に認めさせるために必要なことは運動家の看板を捨てることなんだ。

運動家の看板を捨てる事によるメリットについては伝わったと思う。ではデメリットの話をしよう。

 

運動家の看板を捨てることによるデメリットは正当性を認められなくなることだ。

 

たったこれだけ。 

そもそもね、正当性なんてクソの役にも立たないからな?

いいか、いくら正しい事でも結局はコストと天秤にかけた上で判断されて、その殆どは却下されるんだ。

運動家ってのはその判断コストを要求される訳だが、まともにその仕事をこなせている奴、なかなか見ないもんでみんな忘れ果ててるフシがある。忘れていようが求められるんだけどな。義務だから。

皆さんはそげな雑務なんかどうでもよくて、不平不満で共感を募るだけで充分でしょう。その問題をどう実現するかなんて思索や実務はそれを考える人をチヤホヤしときゃ良いだけ。

ぶっちゃけ現状となーんも変わんないんですよね。

そう、現状となーんも変わらない。
実は社会との接点を軽く外してあげるだけなんだわ。
それがゾーニングってわけ。

もう差別主義者で居て良いんですよ。
オタクが気持ち悪くて、気の利かぬ男に腹を立てて、それが理不尽で道理に合わないから何だって話ですよ。感情なんていう大自然に対して、たかが人工物の理屈ごときがどうにか出来るもんでもない。

しかし、差別主義を標榜して公の場で堂々と主張して許されるほど今の世はユルく出来ていません。

そこでゾーニングなのですよ。

不道徳が許される場をつくり、そこで好きなだけ吐き捨てるのです。 男女ともエロ本でやってる事です。非エロの領域で出来ないワケが無い。

これまでえせフェミがゾーニングを破って

「こんな酷い作品ガー!」

とやってきたように、ミソオスがゾーニングを破って

「これだから女はー!」

とかやらかす未来はほぼ確定ではあるものの、それこそゾーニングしてやってる所に吶喊する方が悪いワケですよ。

女湯の暖簾を潜って写真を撮ってバラ蒔く男とか気持ちの上では普通に死罪でしょ。それは男にだって共感出来ることだ。

上に書いた出来事はだいたいコレの相似形で、割と言い訳不能だと思いますがね、それでもミソオスはデモデモダッテとダダ捏ねることでしょう。

しかしここで思い出して欲しいのは我々には表現の自由があって、これは憲法で認められている権利なんですよ。

差別的思想を吐き捨てる場であっても我々表現の自由戦士は擁護しますよ。
それこそが我々の矜恃なのですから。

尤も、テロ予告のように明らかな実害を伴う言説に対しては無力です。そういう現実への影響からいったん切り離すためにも、前提として

「全てフィクションであり実在の人物団体と関係ありません」

としておく事でしょうか。それでバッチリかどうかは知らんっていうか寧ろ不安だ。なのでフェミ弁護士さんにはメガリアを反面教師にゾーンの監修みたいな仕事をして欲しいね。おそらくミサンドリズムの発散と社会貢献の一挙両得になるよ。

あと、告発はこれまで通り社会の正義に訴える形で良いと思います。

KuTooなんか本来はその路線なのよね。 お気持ちと告発とをごっちゃ混ぜにしなけりゃ結構上手く行くと思うんですよ、実際。 上手くやっていきたいもんです。